スポンサーリンク

緒方孝市著「赤の継承」を読んでみました。(前編)

本サイトはアフィリエイトを利用しています。
広島カープ
スポンサーリンク

こんにちは。プロ野球も開幕し、今年のカープは良い新人選手も入ってきて期待できますね。佐々岡監督も2年目に入りまた三連覇をした時のような強いカープを見てみたいです。

今日はその三連覇の立役者 緒方孝市さんの著書「赤の継承」を読んでみましたので紹介したいと思います。

緒方さんは選手・コーチ・監督と33年間カープ一筋で頑張ってこられた方ですね。その間にどのような事が起こっていたのか、何を考えながら試合に臨んでいたのかなどなどいろいろ興味がありますので読んでみました。

読んでみて、私もいろいろ感じた事・思う事など沢山ありとても長くなりそうなので、何回かに分けて紹介したいと思います。

今日は学生時代から選手・コーチ時代までを書いていこうと思います。

一度も甲子園に出られなかった高校生活からカープの選手へ

緒方さんは佐賀県鳥栖市出身です。野球少年だった緒方さんは中学3年だった時に甲子園に初出場をした地元の鳥栖高校に進学します。

そこで恩師平野監督に出会います。その平野監督のもとキャプテンも任されチームをまとめて頑張っていましたが、甲子園には一度も出られなかったそうです。大学へ進学して野球を続けることを決めていましたが、思わぬことにカープからドラフト3位で声が掛かり、「大学を出てプロになりたいと思っていても、その時に入れるとは限らないよ。」という平野監督の言葉でカープ入団を決意したようです。

カープに入団後は「特走隊」というチームの一人に選ばれました。これは代走や守備固めのスペシャリストを育成するためのチームでした。カープは「まずはひとつ武器を作る」という育成方針だったようで、それで一軍に上がって経験を積めばそれは一軍でも通用するという強みになり、それ以外にレベルアップが必要な面が身に沁みてわかってくるそうなのです。

そうやって走塁と守備で一軍でも貢献できるようになった緒方さんですが打撃では成績が悩み、その間後から入団した野村・前田・江藤選手達が主力となってきて俄然競争意識が高まってきたそうです。そんな選手としてギリギリのタイミングで内田打撃コーチに自宅で特訓を受けて生き残ることが出来ました。後からわかった事ですが、これは球団側から指示されたそうです。こうして考えてみると、「常に生え抜きの選手を自前で一人前に育てていく」というカープ伝統の「育成」方針にのっとり、球団により計画的に鍛えられた選手だったと緒方さんは語っています。

1991年に緒方さんは優勝を経験されていますがこの時はチームの主力ではなかったので、主力をしてチームに貢献した上で優勝をしたいという思いをもって頑張ってこられましたが、遂にその夢は叶わず引退することになってしましました。

引退からコーチへ

引退してからは野村監督の下で野手総合コーチとして指導者の道を進むことになりました。

コーチとして一から勉強をし直したそうで、選手時代は細かい野球のルールはわからなくてもプレーは出来ますが指導者となるとそうはいかないみたいです。ルールを厳密に覚えるくらいならバットを振っていたほうが楽だったと言われてました。

また初めは選手に積極的に助言したそうですが伝わっている手応えが感じられなかったそうです。自分の感覚だけを伝えるにではなく、その選手に適した指導法や引き出しを持たないといけないのですが、就任一年目は自分も現役選手そのものだったと反省をしていました。

コーチをする上で今まで自分はどのような指導を受けてきたか改めて思い返してみたそうです。そして自分がしてもらったことをそのまま次の世代に返せばいいと緒方さんは答えを出しました。

カープは選手を自前で育成していく球団ですが、これは選手だけではなくコーチに関しても同じだと緒方さんは言います。カープはよく「純血主義」と言われます。基本的に監督やコーチは元選手で、まったく縁のない人が指導者として入ってくることは少ないからです。これはカープは選手のみならずコーチもまた育成しているということだそうです。

それゆえ他球団では監督が変わるたびにコーチ陣も一新ということがよくありますが、カープではそれは起こりません。いくら監督が変わろうと大局的な視点の中、指導者の育成は指導者の育成で黙々と進められていくのがカープなんだそうです。

この純血主義は良い点悪い点が存在しますが、かつての選手が指導者に回ることでチームの歴史や伝統といったものが継承されていくという側面があると言います。こうしてカープの野球魂というものが脈々と受けつがれてきたのです。

初めてのCS進出

コーチ時代は選手時代以上に苦しかったそうです。指導者としての勉強以外にもチームの成績が一向に上がらないことが大きかったようです。

選手個人の力は伸びてきているのに成績が振るわないのは自分の指導方法が間違っているのか・・・ それにいやそれ以上に悩んでいるのは当時の野村監督でした。

コーチは選手を育てることも大事ですが、それ以上に監督の目指す野球をやる上で力になることが大事になってきます。

就任一年目は緒方さんが指導した後に、改めて野村さんが指導するということも何度かあり選手を混乱させたそうです。しかし野村さんはそのことを反省し、二年目からはコーチに任せるところは任せて口を挟まなくなったそうです。

チームの空気が変わり始めたのは野村政権四年目の2013年です。優勝こそ手が届かなかったもののリーグ3位となり、始めてクライマックスシリーズに進出出来ました。そのクライマックス阪神との初戦、赤く染まった甲子園球場は私も忘れられません。ファンの熱気と興奮が伝わって来て、選手の背中を押し次なるステップと押し上げたそうです。

「これでいいんだ」その時初めて確信がもてたそうです。この3年間ずっと暗闇の中を走っている状態でしたが、結果として実を結びはじめたことで、選手・コーチ・スタッフも今のやり方に自信を持って、それを力強く推し進めるようになったようです。

それがさらにいい結果を生み、よりいっそう練習に力が入っていくという好循環!!

次の年も残念ながらCS敗退となってしまいますが、確実にカープは強くなっている実感がもてるコーチ時代だったと思います。

私が感じた事

今回は学生時代から選手・コーチ時代までを解説してみましたが、私が一番心に残ったのはカープの伝統のようなものです。

本の題名にもなっていますが、「赤の継承」  選手時代からカープ野球を学び、コーチ・監督となって次の世代に繋がれていく。

カープが自前で選手を育てる事はカープファンでなくても知っている有名なことですが、それはコーチ・監督も同じことだったんですね。

「こうしてカープ野球が受け継がれて今のカープがあるんだなと」この本を読んでより一層実感させられます。

このカープのやり方は良い時もあれば悪い時もあるでしょう。しかしこの育成方針はカープならではの独特なもの。これからもこの考えや方針を変えず今のままのカープを応援していきたいです。

私はカープ野球の根本や伝統の継承を注目して今回は解説しましたが、本の中ではもっと沢山のエピソードや緒方さんが受けてきた指導方法や出会った指導者達が紹介されています。

1996年のメークドラマで知られる巨人に逆転優勝された屈辱やその時の心境も細かく書かれています。

是非興味のある方は読んでみて下さい。カープの事や当時のチーム内の状況などいろいろ書かれていましたよ。

では今日はこの辺で。 最後まで読んでいただきありがとうございます。 また次回で・・・

にほんブログ村 野球ブログ 広島東洋カープへ
にほんブログ村

コメント

タイトルとURLをコピーしました